さて、前回はハードウェアとOSの所まで書きました。今回はアプリケーション部分、もっと正確に言うとVMについて書いてみようと思います。
人間は成長するにつれていろいろな事が出来るようになります。「言語を操る」などもそのうちの一つでしょう。こういう能力はまず最初はアプリケーションとして動作するようになると考えましょう。そして成長するに従い、様々なアプリケーションが相互に影響し合い、VM(ヴァーチャルマシン)ともミドルウェアともいえる層(レイヤー)を形成していくでしょう。ここには「言語を操る」以外にも「道徳観」「国民性」などが入ってくるはずです。「宗教」などもこのレイヤーとなります。
このレイヤーが形成されると、その他の行動や思考などのアプリケーションは、レイヤーを介してOSにアクセスするようになると考えてみましょう。ちなみになぜこのレイヤーが持つ機能をOSに含めないかというと、これらの機能をOSに組み入れてしまうと、大きく分けても国ごと、「信教の自由」まで考慮した場合、下手をすると各個人ごとにOSが異なるという事になってしまうからです。いずれにせよ後天的に身につける機能であるわけですから、人間というハードウェアを動かすOSは出来る限り共通部分を扱うこととし、このあたりの機能はVMというレイヤーであると考えた方があとあと考えやすいわけです。
このレイヤーは成長と経験の増加に従い、まるでパッチが当てられるようにどんどん変化していきますが、同時により強固で他の影響を受けないようになっていきます。逆にここが曖昧なままで外からの影響でふらふらと変わってしまうケース、そういう人は周りの影響を受けて言ってることがコロコロと変わるような人を表すことになります。未成年の間であればともかく、成人になってもこういう状態である場合は問題視するべきなのかもしれません。
このVMが大きな影響を受けるようになるのは余程大きな「事件」に遭遇した場合か、「洗脳」によるものかもしれません。そして成人するまので間にVMをキッチリした物にするのは「教育」だと言って良いのではないでしょうか?正確に言うと「義務教育」はVMを確立させる過程といえるでしょう。であるならば、日本で生まれ、日本国籍をもつ人の場合、日本国民としての素養を身につけることがVMを確立することになるわけですから、政府としては「一体、日本国民とはどのような素養を持つべきなのか?」を真面目に考える必要があるわけです。しかし、現時点では「教育の崩壊」も叫ばれており、VMがまともに形成されていないと考えるべきです。教える教師の側にしても、「VMとしての最低限の機能は何か?」を認識しながら教えるべきなのではないかと思うわけです。
次回はVM上で動作するアプリケーションについて考えてみましょう。
