遂に第2夜が放送されました。もういいでしょうから書きます。いやぁ、あの地獄な内容というか、電波が飛びまくった収録内容を、よくぞここまで普通の内容にまでしたもんだと感心しました。編集ってすごいなぁ。
最初の部分は、そのあまりな内容のために雰囲気が悪かった2時間だけではまずいと判断したのでしょう。収録の最後に追加で20分程かかって撮影した
「宇宙人のイラスト」
部分にし、収録時はトップバッターだったクリーチャーを作る人は「アート」としてサバコさんとまとめたんですね。
その上で電波な方々の話していた内容は98%くらいカットして、UFOの写真を紹介するだけに止め、一番まともだった女性は長い目に紹介して、口論に近い雰囲気になった方々のところは全面カット。その分、内容が薄くなりかねない部分は「UFOふれあい館」の取材で丸ごと置き換え。
「アート」のサバコさん、SETI、そして私が所属しているCONTACT Japanの話題は半分くらいにまで切り縮められてますが、うまくエッセンスだけを抜き出したという感じですね。
さて、ここからは当日の収録の様子です。本当にここは地獄を見たのですよ。
ゲストは第1夜と同じくカンニングの竹山と、安田美沙子の二人。今回は最初から長沼准教授がスタンバイ。
私ともう一人CONTACT Japanから参加したメンバーは、今度は画面向かって右側の2列目。そこが地獄の 席でした。なんと、周囲はほぼ電波な人たちで固められてしまったのですよ。いや、これでは我々も電波な人たちのように見えるではないか!
最初は「宇宙人はどんな姿をしていると思いますか?」という当たり障りの無さそうな話題で入ったのですが、電波な方々はこのあたりから全開ですよ。
電波な方のトップバッターは私の右隣のおじさん。アンドロメダ星雲の方向から送られてくるテレパシーを受信して、異星生物のミイラを作っているという方でした。スタジオには彼の作ったミイラが全部で5体。それを前に出て説明していきます。
ただし彼はある意味確信犯で
「なんか頭の中に浮かんだものを作っているんだが、これが自分の発想なのか、それともテレパシーなのかはよくわからない。自分の発想だとするといかれてると思うので、多分テレパシー」
みたいなことをおっしゃっていました。
それでも生物の姿にはそれなりの説得力があり、異星生物設定の参考になる発想もありました。ただしCJにお呼びしようとは全く思いませんが。
しかし、これはマシだったのです。この先に出てきた方々は本気で電波、というか、
「ムー」
あたりの雑誌の内容を真に受けて信じてしまっている方々。しかも狭い世界なのでしょう、全員知り合いっぽい。1万種類の宇宙人全部に会ったと言いはる老人、23万年前から地球にやってきて、神代文字や日本にピラミッドを作った宇宙人と交流していると主張する日仏ハーフのおにいさん…
「なんか変な光を見たので、それを写真に写しました」
という中年の女性はマシな方で、1万人がどうこういうおじいさんが持ってきたビデオはどうみても
「風船、飛行機、鳥」
であるにもかかわらず、UFOの母船だと言い張る。大変イタイ方々でした。
あー、あと福島県で町おこしのために作られた「UFOふれあい館」の館長さんも来られてましたね。
で、そういう話を1時間以上にわたって延々と聞かされるわけですよ。しかも我々の周りに座った方々から。この間に2度ほど心が折れそうになり、
「ふざけるな、いい加減にしろ!」
と言いかけたのが1回、
「すみません、こういう話でしたら帰ってもいいですか?」
と言いかけたのが1回。
スタッフも「困ったなぁ」と困惑顔。カンニングの竹山がうまくまとめてくれたのと、長沼先生が適当に流してくれたのでよかったですかね。
で、我々の出番では、例のビデオの解説を行ったあと、以下の内容を話しました。
1)科学的にやっていること
2)もともとはアメリカで文化人類学の教育用に行われていたこと
3)通信のやりとりには大変時間がかかるうえ、意志の疎通も困難だと考えられること
4)宇宙船を送るには膨大なエネルギーが必要で、それくらいのエネルギーを取り扱えるようにならないと、10光年先に送るのも無理だということ。
我々のあとにSETI関係のビデオが流れ、元学生さんがぼそぼそと報告。あれだったら私がやってあげたほうが良かったなぁ…と、少し気の毒になりました。
でもまぁこういう流れでしたので、西はりま天文台公園の鳴沢さんは来なくて正解。まぁ、第1部で盛り上がった方々には、大変気の毒な2時間半となりました。
まぁ、それでも明治大学文学部の大学院生や宇宙クラスタの方などはCJの活動に興味を示していただけましたので、東京で何か小さなイベントを行っても良いかな?という感じがしました。
それと秋の「」さんもかなり真面目で、理路整然と物事を考える方のようで、彼女もイベントに呼んでもいいかも、と話しておりました。
ということで、地獄のような時間は、19時半頃迄続きました。
「もし第2部から参加していたら、キレてたよねぇ」
と思う時間でした。